ディレクター業について

 私はメダ3の前に、テトリスプラスGB移植の時にディレクターを一度経験していました。
 開発規模も小さく、また移植だったこともあり、ディレクター業の修行には最適でした。
 同じチームとなった上司のプログラマーさんから叱責を受ける日々でしたが、私はこの叱責を心からありがたいと思いました。
 企画書・仕様書の書き方、予算・スケジュール管理等々といったディレクター業というものを、私はテトリスプラスGB移植で学ぶことができたのです。
 そしてこのディレクター経験があったからこそ、メダ3で私に白羽の矢が立ってしまったとは言えます。

 ディレクター業を経験した上で、私がディレクター業に必要だと身に染みて思ったスキルは、

・リーダーシップ
・コミュニケーション能力
・プレゼン能力
・管理能力(スケジュール・予算・容量等々)
・仕事の采配力

……というものです。
 私には、どれも圧倒的に足りておりませんでした(今もですが)。
 私がどれくらい苦手だったかと申しますと、

・リーダーシップ
      →人に使われる方が気が楽
・ コミュニケーション能力
      →コミュ障気味
・プレゼン能力
      →人前で話すのは苦手
・管理能力(スケジュール・予算・容量等々)
      →いい加減適当大雑把人間
・仕事の采配力
      →マルチタスクは苦手

……という体たらくです。スキルをデータ化してお見せすることはできませんが、少なくとも私がディレクター業に向いていないことは火を見るより明らかです。
 さらにツリー構造の下から一段階アップしたことにより(偉くなったのではなく、あくまで役割的なモノです)、上の方と下の方のサンドイッチ状態になったことが地獄でした。

 しかし私がやらなければ、ゲームが完成しないのです。
 引継ぎの時間や余裕はありませんでした。何より、シナリオは私の脳内にしか無かったのです。
 基本的に人との争いを好まない私ですが、凄まじいデスマーチの連続で追い詰められ心身共に極限状態に陥り、また若さもあって上の方々に噛みついたこともありました(物理的にではありません)。
 悪くても首、死ぬわけじゃない。私が抜ければ、この子はどうなるんだ……と、まるで子を守る手負いの獣状態でした。
 私にとって最悪なことは首になることではなく、ゲームが完成せず日の目を見ない、またはゲームが未熟児の状態で世に出てしまうことでした。

 リーダー気質の持ち合わせなどなくコミュ障気味なのもあって、仕事を人に任せたり指示を出すことが苦痛で、常に抱える仕事は山のようでした。
 ですがゲーム開発はチームで行うので、最低限のコミュ力は必須です。会話による意思疎通や口頭での指示はどうしても必要で、「人見知り」などとは言っていられません。
 また、修羅場で追い詰められていたのは私だけではありません。心身ともに疲弊し気が立っている方々に指示を出し、時に感情をぶつけられるというのは、私にとってはかなり辛く厳しい体験ではありました。
 苦手なことだらけでしたが、苦手だからといってやらなければゲームが完成しませんでした。
 執念でやり遂げました。

 そんな訳でメダ3の時はディレクター業とシナリオ業その他色々という、二足の草鞋どころか何足草鞋を履いているのか分からないムカデの草鞋状態という狂気の沙汰でした。
 ですが「スタッフロールは一人一項目」というルールがあったので、メダ3のでの私の肩書はディレクターのみとなっております。
 私の肩書がシナリオになってしまうと、「一人一項目」のルールからディレクター不在となるため、メダ3ではディレクター表記なのでした。
 シナリオをやるためにディレクターを兼任していた私は、メダ3のスタッフロールの「ディレクター」という肩書に、少々複雑な感情もあります。
 その一方でディレクターの肩書は、「ディレクター業をもやり遂げた」という何よりの記念とも言えるのです。

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